岩松了プロデュース


概要

構成員
主な作家
岩松了
主な演出家
岩松了
主な役者
主なスタッフ
劇団の公式ホームページ
不明(たぶんない)

過去の公演

劇団リストのページへ

スターマン (91.9)

(下の文章の文責:一寸小丸さん)


ファザース・プロデュース 岩松了 秋の特別公演「スターマン」9月4日7時(1:43')
下北沢/ザ・スズナリ 前2500円 当2800円 9/3〜12(11ステ)
作・演出/岩松了 03-3476-1495東京乾電池オフィス 客80(5割)

ファザースプロデュースは88年よりホテルを舞台にした新しい観客参加型イベ
ント「ミステリーナイト」の制作を開始。企業プロモーションビデオの制作も。

ツールドモダンシアター第9弾。ツアー始まって以来の最低の入り。

フローリング、観用植物、ブラインドがあるマンションの一室。暗い過去を背
負った兄妹が住む。兄(有薗芳記)は芝居の音響をしている。妹(広岡由里子)
のとこへ同級生(柴田理恵)が訪ねて来ている。兄の仕事関係の男や、お隣り
の奥さんとかが出入りする。うまく生きていくことのできない兄妹の、繊細で
ピリピリした関係を中心に、彼らの日常の淡々としたワンシーンを切り取った。

相変らず岩松のホンは、役者に求めるものが多い。細かな動きにも意味があり
そうで、アクシデントなのか演出なのかを考え込んでしまう。必ずしも表現で
きていない役者達であるが、それぞれのキャラクターの異常さギリギリさは伝
わった。もっと追い詰められている感じが欲しい。お隣りの奥さん役の子が一
番危なくって最高。名前がわからない。

見終わって「あたしは完全に岩松の世界にのめりこんでいる。スリリングだ。」


−−−

私が芝居の途中から、ずっと気になっていたことは、その部屋にベッドが
ひとつしかないことです。それは兄妹のどちらのベッドでしょう。で、芝
居の中で、それぞれがふてくされた時、二人とも「そのベッド」にもぐり
こむんですよね。もしそれが妹のベッドだったとしたら、まず兄はもぐり
こんだりしないでしょう。だから兄のものだと思うんですけど、でも、音
響をやってる兄は、音響室の奥の部屋(が、あるのかどうかわかりません
けど)に置くハズなんです。とても疑問でした。

もちろん、そこから私が導きだした結論は明確です。「それ」を共有して
いるということです。従って、他人がいる時のグラス音(すなわち隣室で
のSEXのサイン)には、過剰に無関心を装うべきです(そんな演技は全
然できていない)。そして、エンディングの二人っきりの時のグラス音に
対する、あの妹の恐怖の表情・・・。ま、あれですべて確信をもてたんで
すけど・・・。でも、充分な演技とは言えません。私は有薗・広岡ともに
その演技に不満です。岩松の高い要求に応えているとは言えません。ただ、
はっきり言えるのですが、その日のテンションに差があることは明らかで
す。レビューを比べる時、見た日が違う場合、気をつけなければなりませ
ん。私が見た日(4日)に関しては有薗さんはテンションが上がりきって
ませんでした。押さえたなかにも緊迫感を求める岩松のホンを、少なくと
も竹中直人程は伝えてませんでした。(芝居中、「もっともっと」と念じ
ていた私)

しかし、岩松のホンったら、楽しいなあ。役者は地獄だけど、とにかく、
家に帰ってからも楽しめるんだから・・・。

でもって、実は私、客席の最前列で見ていて、危なく舞台に上がっていっ
て、参加してしまいそうになりましたよ。血が騒いだ、っつ〜か・・・。
こわいなあ・・・。(でもそれならまだいい。別のシーンでは思わずダメ
出ししそうになったもんなあ・・・)

−−−

前のコメント「スターマン>私の独断」でうそ書きました。エンディングの広岡
さんの顔が恐怖の表情だったか、実は覚えていません。私はこの芝居の多くのシ
ーンが印象に残っていません。理由は、役者から伝わってこなかったからです。
私は、役者の伝えようという意志を、かなりキャッチできる方だと自負しており
ますが、あの日のテンションからは何も受け取れず、多くを聞き逃してしまいま
した。以前、乾電池の「お父さんのお父さん」でも書きましたが、キャッチした
すべての目と耳による情報と、感じた違和感を家に持って帰って、芝居を再構築
してみるんです。乾電池の時は、おじいさん役が伝わらなかったけど、柄本さん
が熱演していたおかげでたくさん持って帰ることができました(なんせ、公演中
の最高の超満員だった)。んで、岩松了の求めていたと思われる芝居を自分なり
に構築できました。しかし、今回はあまりにも自分の中に芝居が残っていません。
ただ、ベッドに対する疑問が一瞬、心をよぎっただけです。それについて、芝居
の間中に考える余裕なんかありません。あんだけギッシリ詰まった芝居で、別の
こと考えてるヒマありませんから。(でも、疑問はずっと維持してたんだ)

で、帰り道、ベッドから兄妹の関係に行き当たったわけです。んで、私にとって
のエンディングは、驚愕する兄と、恐怖にひきつった妹の顔、以外になくなって
しまったのです。妹の顔がアップになって暗転になるのです。私にはそのエンデ
ィングしか浮かばなくなっているのです。恐怖の表情がハッキリ見えるのです。

さて、ここからが本題です。教えていただきたい。あるいは、これから見る人に
確認していただきたいのです。とにかく私に残っている情報量が足りないのです。
私にあるのは「兄妹」「ベッド」「隣の夫婦」「グラス音」「同窓会」「隣の奥
さんの旅行」などです。それらがなぜ必要だったのかについて私の創作を書きま
す。というより、「以上のネタで私が芝居を作るならこうする」でしょうか。

まず、兄妹はベッドは共有していたけど、一緒には寝ていないわけです。少なく
とも最近は。そのために夜はどちらかがどこかに出かけているわけです。と言う
のは、その隣の家のグラス音は、あまりにも刺激的で、二人の父親とおばさんの
関係を思い起こして、がまんできないからです。以前、危ない雰囲気になったこ
ともありました(事が一度あったかもしれない)。ところが、その「同窓会」の
夜、兄は仕事のために家にいなくてはなりません。だから妹には同窓会に出席し
てもらい、家を空けてもらわなければなりません。結局、妹はいやな思い出があ
ったにもかかわらず出席することにしました。とにかく、兄と二人で夜にグラス
音は聞きたくありませんから。ところが、隣の奥さんがその夜、旅行に行ってし
まうことを知ります。とりあえずグラス音は聞かなくてすみます。だから、彼女
は1時間で同窓会を抜けて帰ってしまいました。不満な兄ですが、隣の旅行を知
ってますから、グラス音は避けられるわけですから安心です。部屋の模様替えと
か始める二人なんです。と、その時、突然グラス音が・・・。(結構、恐怖のエ
ンディングだと思う)

どでしょ。こうゆう話しではなかったんでしょか。実のこと言うと、兄がベッド
で寝たかも不確かですし、同窓会と旅行の時間関係も覚えてません。単に、こう
いう話しの方が私は好きだ、です。こういう話しだったんじゃないかしらねえ?
こうなら、有薗さんの「説教」も説明がつくのですが・・・。

追伸:それでも「2チャンネルのすべて」の意味はわからない。無理にこじつけ
ることはできるんですが、納得はいかない。(歌の意味は?)



アイスクリームマン (92.6)

(下の文章の文責:一寸小丸さん)


岩松了プロデュース「アイスクリームマン」6月1日7時(1:48')
新宿/シアタートップス 前2300円 当2500円 5/30〜6/7(12ステ)
作・演出/岩松了 03-3476-1495 客120(8割)

東京乾電池の若手役者20人を使い、岩松了が乾電池に書き下ろす最後の作品。
私は、面白すぎて精神が錯乱しそうだった。いまだにおかしいまんまだもん。

●合宿免許ってのは隔絶された陸の孤島なわけですよ。そいで試験を前にしてる
極限状況でもあるわけ。素性の様々な若い男女が暮らしてるんです。多くは、
この場限りの関係ですし、だけど運命共同体みたいな共感もあるわけ。そのわ
りには「免許取ろう」なんてぇ軽い目標で、創作の合宿や、運動部の合宿みた
いな強い目的や使命感は希薄なんです。いいかげんなんです。

毎日顔つきあわせていりゃ、そこそこ素性も知れます。情も移ろうってもんで
す。だけど、内地での事情が時々入ってきたりもします。中途半端な隔離です
けど、お互いの精神状態が影響しあい、そこそこテンションが上がっていたり
もするわけです。なんせみんな試験を控えてますから。だから、何かが起きる
のです。起こったのです。いえ、何も起こっていないとも言えるのです・・・。

面白かったなあ。まだまだ若い役者達を、その個性に合わせた本にして、高いテン
ションで明確なキャラクターにし、擦れ違うごとに摩擦を起こし、心理状態で火花
を散らせて、熱い熱い芝居を作りあげた。熱かったぁ。

スターマンより、ずっとわかりやすいです。そりゃあ、登場人物が多い分、関係が
複雑で理解しづらいけど、個々の関係なんか些細な問題です。「お父さんのお父さ
ん」同様、様々なセリフ、動き、効果音、などが全体の精神を昂揚させていきます。
すべては昂揚させる道具です。道具であり、主題でもあります。向かった先がある
わけじゃないですから。ゴールなき昂揚ですから。起こったのが事件であり、起こ
らなかったのも事件なのですから。結局、エピソードにすぎません。追い詰められ
た普通の人間達が、それぞれの摩擦で、それぞれの摩擦熱を発しただけです。その
熱の熱さが伝わるのです。

役者は若いけど、みんな自由にやりまくってて気持ちがいい。(茶色い髪の男の子
は綾田さんとCMに出てる子だが)みんな名前がわからないけど・・・。

(何が私を錯乱させたか)
普通の人間には一つの人格なわけで、日常においてでも、相手様を思いやったりし
ても、二つの人格までなわけです。作家とか、演出家とかは、同時に何人かの精神
を共有したりしますが、そこそこです。観客としては、大勢の登場人物がいても、
そのうちの誰かに感情移入したりするわけです。ところが、この芝居の20人から
の登場人物のほとんどすべてに小丸は感情移入しちゃったわけです(だって、共鳴
したんだもん)。たもんだから、瞬間ごとに様々な心理が、私の中でゴチャゴチャ
に混じり合ったの。会話のスピードが早い分、ムチャクチャに混ざりました。笑い
こけた次の瞬間、泣いてましたし、ハラハラしましたし、恐怖を感じましたし、殺
意を抱きましたし、欲情しましたし、狂暴になりましたし、どうでもよくなりまし
たし、とっても寂しかったですし。ほとんどあたしゃ、一人芝居でやってましたね、
あれを。

ま、今更言うまでもなく、岩松はすごいです。ちょっとすごいです。今回の作品は
強いて笑わそうとしてますけど(つまり、わかりやすくしてる)、それをマイナス
しても、傑作ですよ。演劇養成所の卒業公演のスタンダードナンバーになったとし
ても驚かないぞ。岩松さんの今後の活動が待ち遠しいぞ。外部とのセッションを。

見終わって「お客が少ないことが私を勝ち誇った気にさせた。こんな面白いもんを
見れる(楽しめる)のが選ばれた人だけだなんて、ざまあみろだ。」



センター街 (95.3)

(下の文章の文責:まねきねこさん)


3/26(日)2:00-4:00pm くもり 新宿・シアタートップス 岩松了P VOL.4
 「センター街 未だ見ぬ渋谷への旅」作・演出:岩松了  客6割?

 エキセントリックが加速したり、停滞したり。「月光の・・」の延長線?。
 お話。10年も使われてない、センター街の元喫茶店。上の階は飲み屋。そこに
 住込み母(吉添文子)と娘。母は生活のため?、畳屋おやじに売春。娘に片思い
 の畳屋息子、オーナーの社長娘、社員、プータロ、警官など有象無象の関り合い。
 説明らしいもの、例によってなし。会話でいろいろ憶測の岩松世界。
 
 爆するむき出しの感情と、鬱積した心しかない。躁鬱症かと思う演技。どろどろ
 した欲望を隠したようで、そのまま。カタルシスを感じるにしても、それは登場
 人物達だけで、お客にはどうか。のりと洒落で書き飛ばしたように、行っちゃう
 奇天烈言動。あきれて笑えそうで、そうはいかない。この笑い、増長しないのが
 救い。面白いというより、興味深い。頭が煮詰り、つかれたねこ。

 でも、好きな場面いろいろあり。これ岩松芝居のお楽しみ。怪しい義理の若v瓩畠兄が、なんでか回転寿司のお茶の話をねっとり延々するのを、娘に粉かけ
 られた男がじっと見てる図とか。ディドリーム・ビリーバーとか、和みまたは明るめ系の
 音楽が、修羅場のとこで、脈絡なく被さって、すっと暗転するとか。

 お目当ての吉添文子。雰囲気背負ってる。空気がちと甘ぬるく(ちと違うか)な
 る。気のいいおばさんの表情と、ヒステリー、突きささるような嫌悪の表情。
 同居してるのがすごい。ぞくぞく。いいなあ。

 カーテンコールで、好きな異性について役者の一言あり。みんなまとも。あたり
 まえか。芝居のあとだと、妙な違和感あり。吉添文子は、お金を持ってる男だそ
 うです。まともですね。(3/21-4/2)



ベンチャーズの夜 (94.6)

(下の文章の文責:まねきねこさん)


6/3(金)9:00-10:30pm 晴 池袋・ACT-SEIGEI-THEATER 片桐はいり一人芝居
 「ベンチャーズの夜」 作・演出:岩松了       超満員(キャパ80)

 「愛に囚われた」女。八方塞がりの思い。悲痛で哀れな「一人芝居」。

 お話し。看護婦の女は医師と不倫中。彼女は数日前、医師の子を病院から
 さらった後置き去りにしたのだった。罪に怯え、部屋にこもる女。
 医師との「会話」のテープを相手に、一人芝居を繰り返すのだったが・・。

 きびしい芝居。男との「記憶」の甘さに悦び、同時それが、身を切り刻む
 ナイフの苦痛となり、身もだえる女の姿。軽さのオブラートもなく、痛々しい。
 まいりました。観ている側の気持ちにも痛く、かかる負担はしばらく忘れられ
 ない作品。終演後の客席、竹中直人氏の厳しい表情も印象に残る。

 整理券はでません。椅子はユーロスペースみたいなリクライニング(50席)。
 補助椅子が最前列と周囲。ねこは、補助の次の2列めでしたが、快適でした。
 前に座りたい人は、開場30分前には並んだほうがいいです。当日券もあった
 みたい。



アイスクリームマン


【概要】

合宿免許に集まった若者達の「青春群像(この用語、チラシより)」

【ひとこと/ひとりごと】

興味深い芝居だった。

20人の若者達が登場し、合宿所のロビーで断片的なエピソードが重ねられ
ていく。芝居の底流となるようなストーリーはない。幾つかの恋愛関係がそ
れとなく描かれ、それが多くのエピソードを支えはするが、テーマと呼べる
ような方向性はない。もっとも、ラストで、事務員の早苗と半年も合宿所に
居続けている*のつぼ*との間で感情が激しく噴出するシーンがあり、これを
劇のクライマックスとみることもできる。しかし、すべてのエピソードがこ
の結末のために準備された伏線であったとみるのは不自然だろう。

アイスクリームマンというタイトルに着目するなら、この言葉は劇中では、
女教師の城内が阿部に対して名付けるあだ名のことである。阿部という人物
は劇中のどのエピソードにも積極的には関与せず、つまり個性が描かれない。
ただ、何となくそこにいて、アイスクリームを食べているだけである。その
さえない男に対して、自閉気味の変人であり他人との対話を持たない女教師
が、「『いい人』とは何か」といったようなことを不意に熱っぽく語りかけ、
彼を「アイスクリームマン」と呼ぶのである。だが、劇の前半に出てくるこ
のエピソードも、ふくらみを持つわけでなく、それっきりである。

こういう芝居に対して分析的な感想を書くのは難しい。その難しさというの
は、技術的な問題ではなく、むしろ、劇を作った側がそういう分析を拒否し
ているように感じられる点に起因しているらしい。ここで分析といったのは、
抽象化ということである。ぶっちゃけて言えば、「この芝居はこうこうこう
いう芝居であり、こういう意図があり、こういうところが面白い」といった
類の、皆が楽に共有出来るようなイメージに置き換えることである。
(こうした「貧しい」イメージ化は、僕がとりあえずいまここにRを書く
 時に念頭に置いていることでもあります。(^^))

安定した視座を排すべく主人公を拡散させ、抽象的なテーマを排すべく具体
的な断片を重ね、求心力を避けるべくその断片をばらばらに配置することで、
観る者の抽象化やイメージ化への欲望、ぶっちゃけて言えば、「どんな芝居
なのか理解したい!」という気持ちを、この芝居は故意にはぐらかしてゆく
かのようである。そういうふうに観ると、ロビーという空間がなにか象徴的
な意味を持ってみえてさえくる。どんな物語にも属さず、常に外部であるよ
うな交流の空間……。

具体的な現実をそのまま輝かせようというその試みは、それがもし実際あっ
たとすれば、半ばは成功で、半ばは失敗ではなかったかと思う。失敗という
のは、パワーの問題である。例えばそれは、量の問題。2時間で20人が出
てくるとなると、どうしてもひとりあたり、ひとつの断片あたりの描写は雑
になってしまう。断片の数も少ない。こういう芝居は、ある種の小説のよう
に、もっともっと、しつこいくらいにエピソードを重ねるべきだと思う。そ
れは、ラストに激しいクライマックスを設定することよりも、むしろ重要な
ことではないだろうか。

−何言ってんだ、という声に応え、さらに抽象化&イメージ化−
要するに、「何だかよくわからないけど、すごく圧倒されちゃったなあ」と
言いたいんだけど、それじゃあ褒めすぎだよな、とも思ったわけです。

--------------------------------------------
【アイスクリームマン】 岩松了プロデュース
  1994.4.12-24 THEATER/TOPS (すでに終了)
4.22(Fri) 19:00 椅子席最前列中央より観劇(客席超満員)
--------------------------------------------


センター街〜未だ見ぬ渋谷への旅〜 (95.4)

(下の文章の文責:一寸小丸さん)


岩松了プロデュース Vol.4「センター街〜未だ見ぬ渋谷への旅〜」3月29日7時
新宿/シアタートップス 前3300,3000 3/21〜4/2(17ステ)
作・演出/岩松了 03-3402-4836 客150(満員)

物理の実験を見ているような芝居だった。「一空間に存在する複数の物質のうちの
二つの間に発生する弱い力、及び、その他物質によりその力がいかに変化するかに
関する考察」・・・みたいな。

91年の有薗・広岡による「スターマン」(スズナリ)に始まった岩松了プロデュ
ースは、東京乾電池の座付き作家としての最後の仕事として、乾電池若手を集めて
トップスで行なわれた「アイスクリームマン」('92初演)で大きな転機を迎えた。
柄本明を大看板とする乾電池の若手は、岩松の演技論の前で手も足も出ず、何も表
現できずにホンの良さだけが残る作品を残した。ある意味で、役者が何物も付与で
きなかったが故に、この「アイスクリームマン」は傑作として認知されることにな
った。94年の再演では、役者の成長にもより、実にわかりやb「モャK^モニな
ったが、逆に初演程の印象は残らぬ結果となった。(アイスクリームマンは、東京
サンシャインボーイズの「罠」同様、教育テレビ版再構成再録ドラマとして放送さ
れるそうだ)

今回の作品は、そのアイスクリームマン再演時の役者を集め、岩松の演技論との格
闘を再び強いている。マンプリのじょじ伊東は出演を断ったそうだ。もったいない。
でも、ま、前回があれだから、やむをえまい。

●渋谷センター街に取り残されたキッサ店跡。いかがわしいモノが集う。食を
求める男や、春を求める男と春を売るオンナ達。母娘、地主娘とその部下男。
隣の男、追いかけてきた女、宇田川町交番男、ハチ公作家。恋心と嫉妬と、
欲と欲情と、希望と失望と、過去と未来と、夢と現実と・・・。時間が止っ
た場所に、少しずつ時代の憂鬱が堆積してゆく。

10個の物質があれば、それぞれの2者の間にはある関係(力)が存在します。全
部で45通りでしょうか。普通の人間関係では10人いても、私という1個が関係
するのは3人ぐらいですけど、この芝居の登場人物は、たくさんの人と関係し、力
を及ぼします。それぞれの二者間の関係が次々と提示され、後半ではその変化が示
されます。が、しかし・・・。

役者が何も表現していません。関係芝居とも言えるこの作品で、関係が構築できな
いのですから、世界も生まれてきません。役者達は相手の会話を聞いてませんから、
会話になりませんし、動きも人間に見えません。もちろん、唯一、吉添さんだけが
人間でした。彼女だけ、会話してました。

岩松氏の役者に対する演技の与え方に疑問を持ちました。確かに下手な役者には、
すべてをそぎ落としていくやり方しかないと思いますが、その後で動きを与えては、
役者は止ってしまうと思います。表層的なコトバと動きしか伝達されていないみた
い。まだ、5年はかかりそうです。

世界を構築する上で、最も欠落していたと感じたのは、青のシートをくぐって登場
する人物達が、そこまでセンター街を歩いてきたという空気を持っていないことで
す。渋谷のドハデ・センター街を歩いてきた人間が、あの空間に辿り着いた時、何
が起きるのかが、芝居のベースであるべきでしょうに。あそこが東京都渋谷区のセ
ンター街にはどうしても思えませんでした。大分県南寒野辺郡傳原町銀座通りセン
ター街みたいな・・・(どこじゃそりゃぁぁぁ)。

「未だ見ぬ渋谷へ」旅するのは、人物達なのか、それとも、空間なのか・・・。
あの場所は、渋谷へと、これから向かうのか・・・その時、人々は、何を思
うのか。

吉添(春を売る母親)さんがすごいです。買いです。相手が何も返してくれなくて
も、一人で壁打ちしててあれだけ芝居を作れるのは、たいしたもんです。もっと、
いい相手と勝負させたいもんだ。

例えば岩松さんは、4人ぐらいの優れた役者を使って、もつれまくった四角関係み
たいな芝居を作って欲しい。愛と裏切りが錯綜し、しまいにゃ殺すぞみたいなギリ
ギリの愛を小数の役者で。それを見たい。

見終わって「でも、岩松のホンを3000円で見れるのは、ここぐらいなんだもの。」


劇団リストのページへ
にしかど(nskd@enpe.net)