ジャブジャブサーキット


概要
岐阜の人気劇団。1995現在、中部地方では最も動員が多いとか。

構成員
主な作家
はせひろいち
主な演出家
はせひろいち
主な役者
はせひろいち
中杉真弓
世一嘉津男
みずのいくひこ
小島好美
棚橋優紀
山本昌子
乃なは水生
所晴巳
鬼頭卓見(客演扱い)
咲田とばこ(客演扱い)
主なスタッフ
劇団の公式ホームページ
SENTAKU通信

過去の公演

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まんどらごら異聞 (95.4)

−−−【まんどらごら異聞】−−−ジャブジャブサーキット−−−

見事な芝居でした。岐阜が本拠地ということで、東京では若手主体
のグリーンフェスへの参加ですが、実力は相当なものですね。楽し
みな劇団が、またひとつ増えました。(^^)

伏線に富んだ繊細なホンを日常っぽい演技で綴ってゆくというスタ
イルで、そのあたりの巧さが味わい深いのですが、エンターテイン
メント的な部分もきちっと押さえていて退屈がなく、役者の持ち味
もちゃんと出ていて親しみが湧くということで、全体的にとてもバ
ランスがとれているという印象です。

舞台は、拘置所の医務室。これは、芝居の冒頭でも語られるとおり、
人々の行き交う交差点のような場所です。

拘置所というのは、刑務所とは違います。ここにいるのは、シャバ
復帰か刑務所行きかの分かれ道を前にした刑事被告人と、生か死か
の分かれ道を前にした死刑囚。ここは、人生の重大な岐路を目前に
した人達が、かりそめにたたずむ場所なのです。

新任の精神科医が部屋に入ってくるところからこの芝居ははじまる
のですが、ここには、およそ確かさの印象が欠けています。急場し
のぎにしかみえない医務室。案内するのは所長の代理。棚の本の少
なさ。奥へとつきぬけの廊下。……。

で、ひとりになって落ち着きなくうろうろするしかない彼が、突然
取り出すのが、テープレコーダーです。彼は、自分の言葉を、日記
のように、テープに録音するのです。テープに残る、確かな言葉。

この、確かさと不確かさ、何が確かで何が確かでないのか、という
ことが、芝居の全編を通底するテーマになってゆくのです。

拘置所の患者達の抱えた、立場の不安定さ。よりどころのなさ。事
実は、もう、過去のものとして、確かにあるのだけれど、それに対
する判定は定まらない。事実は動かないけれど、それへの認識は、
気持ちは、動く。過去の事実と、いまの気持ちは決定的にずれてい
く。そのとき、記憶というものは、記録ほどに定かでもなく、気持
ちほどに自由でもなく、人はその狭間でもがくほかなくて……。

と書くと重い感じですが、芝居のタッチはあくまでも淡々で、さら
りとしています。雰囲気に、暗さはありません。説教臭さも、小難
しさも、ありません。悲しむこともできるし、希望をみることだっ
てできる。うまいと思います。難点をあげるとすれば、タイトルに
も使われてるマンドラゴラの謎かけが、ちょっと取って付けたよう
な感じだった点と、ラストが少し冗長に思えた点でしょうか。

役者は、全体的に、いい味を出していて、とても良かったです。特
に良かったのは、二人の医師を演じたはせ(だと思う)と鬼頭。は
せ(だと思う)はせりふのミスを何とかしてほしいですが。あと、
私は、所長代理役の咲田とばこが、とても好きでした。最初のきり
りとしたところも、照れて崩れるところも。ラストでまたきりりに
戻るあたりは、「愛と青春の旅立ち」のアレかな。

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【まんどらごら異聞】 ジャブジャブサーキット Vol.22
 作・演出/はせひろいち
  はせひろいち(星田=精神科医)鬼頭卓見(小林=内科医)
  咲田とばこ(岸野=所長代理)中杉真弓(患者)世一嘉津男
  (患者)みずのいくひこ(患者)小島好美(患者)棚橋優紀
  山本昌子 乃なは水生 所晴巳 (はせと所は交代あり?)
 1995.4.28-5.1 シアターグリーン 5.1 Mon Sw 4列 満員
 このあと名古屋公演もあり(5.12-21 七ッ寺共同スタジオ)
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冬虫夏草夜話 (95.12)

ジャブジャブってどんな芝居?と人に尋ねられる機会が何度かあっ
て、そんなときは「まあ、静かな芝居じゃない?」とか言っておい
たのだけれど、じっさい先日みた「冬虫夏草夜話」は、遊園地再生
事業団の先月の公演「知覚の庭」と方法論においてある部分で一致
しているようだったのだから、だとすれば私の出まかせもまんざら
のものではない。

ある部分というのは、過去のニオイのことである。

「冬虫夏草夜話」は遺跡を発掘する人々の日常をめぐる話である。
遺跡からは人骨や冬虫夏草が出土し、それは過去におけるタイソウ
な物語の存在を暗示し、それが現実の日常に微妙な変化をもたらす。
変化というのは、いってみればまあ事件への予感のようなものだ。
しかしそれはあくまで予感であって、実際には事件はなにも起こら
ない。殺人事件の予感はただの万引きにまで肩透かしされる。タイ
ソウな物語は過去にだけあり、現実のいまここにはない。ただその
ニオイが漂うだけだ。

というか逆に、ただの日常を過去のニオイによって殺人事件の予感
にまで高めるというところに創り手の方法論はあって、そこにはタ
イソウな物語をいまここに無理矢理でっちあげてウソっぽさを露呈
するのだけは避けたいという姿勢を感じるし、それで作品のいくぶ
んかの退屈をも引き受けようというのならそれならそれでそれは誠
実というものだろうと思う。

ただこのことはジャブジャブサーキットの作品のひとつの側面にす
ぎないのであって、そうしたある種のシャープな態度とはウラハラ
の「どんくささ」のようなものもこの作品にはあふれていた。決し
てうまいとはいえない役者達は、なぜかどこかのどかである。そし
て方法論の厳しさと舞台の上の妙なのどかさとのギャップこそがこ
の作品の最大の魅力であったと私は思ったりもしている。


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にしかど(nskd@enpe.net)