解体社


 

<特報>
3月公演「瀕死のアナーキー」の案内を公開中です。
概要
1979
劇団解体社結成
1985〜 
電子音楽、映像、美術、建築など、他ジャンルとの共同作業を開始。その過程で廃虚や街路、河原、公演などオープンスペースを舞台に繰り広げられる野外劇−<場の演劇>を、さらに、客席を固定せず一つの公演で上演場所を次々にかえていく<移動演劇>=「遊行の景色」を発表、展開する。観客と共に空間を放浪するその独特な公演スタイルは、舞台と観客の間により新鮮な関係を生み出し、新たな劇世界の出現として注目を集める。「風景」の変容とその新生をテーマに掲げたこの「遊行の景色」は、シリーズとして各地で上演され、現在も公演活動の中心として継続されている。
1991〜
「THE DOG」と題した、<室内劇>シリーズを開始。野外、そして室内において集団創造による多彩な演技メソッド、「彫像態」「歩行態」「闘技態」などの独特な演技術を開拓。以後、<新しい俳優>のアクチュアルな力と、数年にわたる野外の実践による<場の演劇>の理念とが結合した、類例のない苛烈な聖性世界の様式化に挑んでいる。
構成員
主な作家
清水 信臣
主な演出家
清水 信臣
主な役者
日野 昼子
熊本賢治郎
中嶋みゆき
丸岡ひろみ
小杉 佳子
森山 雅子
高田 美穂
野元 良子
山形美津子
上田由美子
飯田 幸司
海田 玄二
主なスタッフ
長谷川和弘(照明)
秦岳志(音響)
遠野未来(美術協力)
宮内勝(写真)
劇団の公式ホームページ
劇団解体社

過去の公演

A LITTLE STORY (94.6)

聖オルギア (94.7)

TOKYO GHETTO (95.3)

オルギア (95.09)

THE PROSCENIUM/TOKYO GHETTO (95.9予定)


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A LITTLE STORY (94.6)

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    【 A LITTLE STORY 】    劇団 解体社     
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 老人の幻想的な追憶の世界。劇場中央に十字架形に高く盛られたコンクリ 
 の道に、静寂の中、男と女が立っている。男の吐く息が激しい風の音に似 
 たざわめきをたてると、それに呼応するかのように女の体が変調をきたし 
 はじめる。筋肉をこわばらせ、歯茎を剥き出しにし、白目を剥いて憤るそ 
 の姿は、もはや獣そのものだ。やがて舞台には、厳粛な動きで次々に男女 
 があらわれ、ゆるやかで幻想的な心象風景を紡ぎはじめ……。説明的なせ 
 りふや明示的なストーリーは排し、豊饒な肉体の力で舞台空間にイメージ 
 を膨らませてゆく。客席を含めた劇場全体の美術に、演劇の場へのこだわ 
 りが滲む。「犬」の日野昼子が迫力満点の怪演。            
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《感想》

 ・野外劇を得意とする解体社が、「THE DOG」と題して打つ室内劇
  三部作の第二部。前年のアトランタでの野外劇を、室内版として構成し
  なおしたもの。芝居と舞踏の中間のような印象の舞台だった。

 ・日野昼子の「犬」が強烈だ。まるで、犬の魂が日野の体に乗り移ったか
  のようだ。

 ・役者の独特な体の動きが、舞台に緊密で聖的なイメージを高めてゆく。
  そこでは、せりふさえもが、意味というよりも音感としてその儀式を支
  えているかのような印象だ。問答無用の迫力がある。

 ・逆に、意味づけが必要であろう部分で、その意味が伝わってこないもど
  かしさがあった。例えば老人と舞台上の人物との関係などは、せりふで
  明示しない以上は、別のかたちでもっとくっきりと表現する演出がほし
  い。あるいは、老人の「老人性」の表現もやや隠喩的にすぎるように感
  じた。日野の「犬」が表現し得たような類の「わかりやすさ」が、もっ
  と他のシーン、他の役者にもあっていいように思う。

 ・劇団専用の劇場だけあって、劇場という場自体に劇団の意志が感じられ
  る。わずか30席程度の客席は、演劇の場に組み込まれていることを客
  が感じられるよう配置されている。舞台美術もユニークで面白い。

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【A LITTLE STORY】 劇団解体社 (三部作「THE DOG」第二部)
 作・構成・演出:清水信臣
 1994.6.3-19(金土日のみ) 本郷DOK 全席自由(前3000 当3500)
 6/17(金)19:45-21:15 奥ブロック1列目より観劇 客入り:満員
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聖オルギア (94.7)


 解体社の3部作『THE DOG』の第3部にあたる作品です。

 解体社は場と一体化した野外劇を得意としてきた劇団で、1993年に自前の
劇場を確保して以来、室内劇にも精力的に取り組んでいるようです。今回の
3部作も、この3部のみが新作で、1・2部は野外劇の焼き直しでした。

 三部作に共通した視座が「犬」で、これを日野昼子が演じます。開幕直後、
舞台に立つ日野の肉体が変化をはじめます。日野の犬には苛烈な狂気のよう
なものが取り憑き、その変化が観客を超現実的な世界へと誘います。

 その後舞台で演じられるさまざまなパフォーマンスには、一貫したストー
リー性は希薄です。せりふもわずかで、それにより状況が説明されるという
類のものではありません。聖的でしかも苛烈な様々なイメージが、狂気の祭
典のように舞台に繰り広げられます。

 観客を含めた劇空間が、混沌として未分化なアナザーワールドへと変化し
てゆき、みていると不思議な身体感覚に陥ってゆくような感じがします。

 終演後には劇場にてビアパーティーが開かれ、楽日ということもあり観客
もかなり多数参加していました。

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作・構成・演出:清水信臣 出演:日野昼子 熊本賢治郎 中島みゆき 他
7/17ソワレ 本郷DOKにて 客席:超満員 公演はすでに終了
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TOKYO GHETTO (95.3)


 酔っ払ったときに書いた文章はアップしちゃいかんと心に留めて
いるんですが、酔ってるときって心の留め金が外れやすいんですよ
ね。まあとにかく、書くと言ったので書きます。

 予め断っておくと、私はバレエ、ダンス、舞踏、パフォーマンス
などひっくるめても片手くらいのカンパニーしかみてません。これ
は言い訳じゃなくて、そういう立場で書きますという主張です。っ
ていばってどうする。

 解体社は3回目で、前作と前々作をみてます。初見のときは、と
にかく圧倒されたり、をるがさんはどれだ???とかで気が散った
りで終わりました。二回目で、共通する幾つかの感触を得ました。
そのあたりの話からはじめましょう。

 まずは、日野昼子です。初見のときは日野の肉体表現の印象ばか
りが強く残ったのですが、それは日野が舞台の中でひとり独特の役
割を負っていたからです。たとえば……。

 登場する日野の首には首輪。犬のイメージ。傍らには、飼い主を
思わせる一人の男性。男性の刻む吐息のリズムに合わせて、筋肉を
こわばらせ、歯茎を剥き出しにし、白目を剥いて憤る日野。

 首輪は抑圧の象徴ですが、大事なのは、日野が抑圧されていると
いうことではなく、その抑圧が顕在化しているということです。日
野にも、観客にも、首輪が見えているということです。

 日野が動物的な反抗をみせるのは、この抑圧の顕在ということに
対応しています。では、顕在でない抑圧とは?

 それはもちろん、その他の女優達の上にあります。おお、何か文
章がそれっぽくなってきましたね。女優達は、その動きが日野のそ
れとは明らかに異質です。様式的で、緻密で、不自由な動き。そし
て、彼女達の動作には、意味が欠落してみえます。

 たとえば、並んでひたすら自分の腿を打つ彼女達。客席に届かん
ばかりの長い鉄パイプを背負ってぐるぐる回る彼女達。

 それらを作業と呼ぶことにすれば、女優達の肉体は二重の意味で
抑圧されています。作業を強いられることの抑圧、それが無意味で
あることによる抑圧。

 しかし、彼女達は、日野のように抑圧に反抗しようとはしません。
むしろ、淡々と作業を受け入れる。そして、過剰にそれに没頭する。

 日野の肉体を漢字のような表意文字にたとえるとすれば、彼女達
の肉体は、表音文字のアルファベットです。日野は表意文字として
なまなましいことで舞台に存在する。では、表音文字の彼女達は?

 彼女達も、実はなまなましいのです。それは、本郷DOKという
劇場の構造とも密接に関連します。彼女達の肌が赤く腫れ上がると
き、鉄パイプが客席に迫り来るとき、観客は彼女達と空間を共有し
てしまっている自分達を意識し、その意識の過剰でもって彼女達の
なまなましさを捉えるのです。

 漢字としてなまなましい日野と、アルファベットでありながらな
まなましい女優達とは、対になって世界を閉じます。その世界の名
前は、もちろん、女です。おっと決めてしまいました。

 舞台にはまた、男優達もいます。彼らの動きは日野のそれのよう
に激しくも、女優達のそれのように様式的でもありません。語弊を
恐れつつ言えば、彼らはより自由です。

 男達と女達とは、終始、異質な存在としてありつづけます。日野
とその他女優達とも、異質でありつづけます。異質な存在が対立項
として世界を閉じるとき、その対立の前提となる何かの存在がいよ
いよあらわになるのです。

 そして、舞台から奪われてある別の何かへの思慕が、なまなまし
さの残照に導かれて、強く強く、劇場空間に惹起されるのです。

 さて、ずいぶん勝手なごたくを並べましたが、これが前2作で私
の得た感触です。で、当然、この延長線上にある何かを期待して、
今回の舞台をみました。ふう。

 こんだけ誘導すりゃもうおわかりでしょうが、そういう意味では、
今回の舞台は意外でした。もう、日野の首輪ははずれちゃうわ、男
達がブラにパンティーにシミーズ(って死語ですか?)着てるわ、
びっくらです。交わっちゃってます。

 順序よく行きますか。冒頭。しばしの静寂の後、集団は3組に分
かれます。3組目はバームクーヘン。ここ、笑うとこです。

 第1組。倒れた女。それをまたぐ男。すがる女。ペアになる男女。
互いに殴り合う。憎しみ。抱きつく女。受け止める女。そういう愛。

 第2組。立ち尽くす女達。茫然と/不安そうに/かすかに怒って。
合わせて、抽象的な手の動き。ゆっくりと、反復的に。

 前者においては感情を表現する肉体の動きがあらわです。男と女
があらわです。日野の首には首輪。後者は、その逆ですね。ここに
ある対立は、基本的には前記の対立の延長です。

 さて、舞台には不安を誘う破壊音がはいります。空襲のように。
で、展開。ここで、解体社の解体社たるゆえんである(?)解体作
業がはじまります。そういや舞台装置の説明、ぜんぜんしてません
でしたね。うーん。まあ、みてない人はこんな長文読んでないでし
ょ、とか思ってる私です。一応、やります?

 せまくて天井の高い剥き出しの空間を想像して下さい。そこに、
鉄パイプがたくさん縦横に走っています。まあ、そんなとこです。

 で、これらを撤去するのです。男達が、率先して意志的に。そし
て、新たな場の創設。狭い広場。広い狭場。狭場って何ですか?

 すりガラスに投影されるイメージフィルムの中では、街が建設さ
れていき、傍らでは別のフィルムの中で女達が砂漠をさまよいます。
いよいよ私の文もだらけてきて、さてさてどうなることやら。

 「おーっと、梯子ですよ、服部さん、これはどうしますかね。」
「いやー、これはね、立てますよ。天井に何かあるんじゃないかな
あ。」「さあ、服部さんは立てるとの予想ですが、さて、おーっと、
立てた、立てた、鉄人、立てました。そぉしてえー、天井に手をか
けた。」「ああ、これは、ブランコですね。あの鎖と鉄板で、ブラ
ンコ作るんじゃないかなあ。」 みなさん、ついてきてますかー?

 ブランコに乗るのは女、ゆっくり押すのも女、見守るのも女、し
かしどこからともなく男が現れて、押す女に取って代わります。男
が激しく女を押しはじめると、女達の顔には不安がにじみはじめま
す。客席に届かんばかりに激しく揺れるブランコ。座り込み、縮こ
まる女達。さて、ここで女達から奪われたものは何でしょう?
1 ラブ  2 ピース  3 セックス   答えは30年後。

 何かを奪われた女達は、続いて衣服をも奪われます。前述の第1
組も第2組も一緒に。日野の首輪も奪われました。ここにあるのは、
服従だけです。反抗はないし、服従を通じて噴出するなまなましさ
すらない。個人としての尊厳も主体性も失って、晒される肉体とし
ての機能性のみを残された声なき表音記号達の羅列。それを背にひ
げを剃る男二人の落ち着き。ブランコを押す女の手には手錠。

 さて、ここでいよいよやってきました、スパンキング・タイム!

 男二人が、女二人を叩きます。年配の男は激しく肩を、若い男は
従うように腿を。リズミカルに、反復的に、叩き続けます。延々と。

 二回目は、さらに長く、さらに激しく、二人とも腿を。気が遠く
なるような長い時間のあと、若い男の手が三人の女の腿を経て自分
の腿へ。年配の男も。二人、自分の腿を激しく、気が違ったように
激しく、リズムに憑依されたかのように激しく、打つ。そして卒倒。

 さあ困りました。男達が女達を叩くのはわかります。女達が自ら
を叩くのは、前に書きました。なんで男達が自らを叩いちゃったの
か。現象の把握は簡単です。男と女が交ったのです。男は、女性の
肉体を獲得した。あるいは、隠されていたそれがあらわになった。

 なぜか。リズムに憑依された、ってのがポイントです。と相変わ
らず偉そうな私を許して。女性達の肉体はあくまでも従順でした。
それは、まるで生も性もない楽器であるかのような錯覚を起こさせ
るほどに。男達がリズムに憑依されてしまうのは、その錯覚が女性
という異なるものを男達の幻想から駆逐したからです。それほどに
リズムはタイトでした。

 おもしろいのは、男達の錯覚が深まるほどに、観客が女性達の身
体からこぼれた過剰な何かを、引き受けざるを得なくなる点です。
しかも、自分のものとして。自分のものなんかじゃないのに。

 皆さん、思わず目をそむけませんでしたか。女性の皆さんはどう
ですか。あれは皆さんにとって、演技でしたか。作業でしたか。虚
構でしたか。抽象でしたか。リアルでしたか。なまなましかったで
すか。痛かったですか。泣いちゃいましたか。

 男優達は凹の鋳型としての女性を失い、みずからの凸としての身
体性を失います。そのとき観客達は、激しい音と赤く染まる女性達
の腿のなまなましさに、従順な表音記号達の遺棄されたうめきの中
に、宙吊りにされたまま。ですか?

 で、女性達は?

 服を着ました。名前を回復しました。階上に昇りました。言葉を
獲得しました。下着姿で、役割対立と感情表出のあらわなあの冒頭
の動作を、何かの感触を取り戻すべく必死に二人で演じる男達を見
下ろしながら。

 新しい人類の誕生?ヒットラー?戦争?いつ?

 白旗のもとの全員退場の同質性?

 いいかげん疲れてきました。こんな長文、ほんとに読んでる人い
るんですか?まあ、私だったら読みませんね。そんなヒマじゃない
ですよ。         ヤァー ッ  ホォ ーーー。

 って画面に叫んでも無駄なので続けます。信じる者は救われる。
なんとこれでも舞台は終わらないってんですから、ほんとにもう。

 ひとり舞台中央に引き返した日野が観客の理解を拒む言葉を理知
的に朗読し、客席から立ち上がった男が彼女の顔を黒い包帯でぐる
ぐる巻きにして、再び服を剥ぐ、ってのが次のシーンです。男って
あんた、一体誰ですか。客?演出家?黙ってちゃわかりや長介。

 いや、あたしゃ知ってまっせ、女がインテリぶっておフランスだ
かなんだかわかりゃしねえ言葉うだうだしゃべりやがるから、男性
客が怒ったんですよ。ごたくはいいから体みせろ、ってか。いや、
じっさい、オヤジ客の考えることなんか、そんなもんですって。

 顔なし体露出女三人に与えられるのは、モルモット一匹ずつ。こ
れ、一匹はニセモノなんだそうですよ。あ、いかん。これは終演後
に役者さんに聞いた話でした。そういうのはズルですね。わたしゃ
ホントは、ウサギの子供だと思ってました。アイ・コンフェス。

 ペットって、日本語で愛玩動物って言うんですよね。愛玩。

 さあ、いよいよラストです。女が紙持ってでてきて、ナイフでず
たずたに切り裂きました。そして朗読。ん?sovereign?force?ma
intained?ああ、憲法第9条ですね。そういや後ろじゃ喪服の女達
が何かやってますね。誰か死にました?そして紙の破片を拾う女達
から、発せられる日本語条文の断片。英語は軽やかになめらかに、
日本語は破片、破片、破片。

 そしてスライド。Here we live, in this TOKYO GHETTO.

 エピローグ、普段着の男達の普通の遊戯。
 いま、ここ、本郷DOKの窓明かりのもとで。

 はあ。やっと舞台が終わりました。長い道のりでした。さあ、い
よいよまとめますか。いやいや、もう皆までは語りますまい。もす
こしうとうとしましょう。せめてしばらくの間は。



(下の文章の文責:まねきねこさん)


3/11(土)7:15-8:55PM  晴 本郷・本郷DOK 解体社
 「TOKYO-GHETTO Voidness has gone,and the era fo absurdity is coming」
 作・構成・演出:清水信臣         超満員(60+立ち見15)

 いろいろ想起の前半好き。解っちゃう気になる後半よか。
 愛と痛み。弱者と強者。殴打しあい、組み合う男女。楽しげなリズムで女のももを
 果てしなく打ち付ける男。可笑しげに見える拷問だ。でも、男も痛みと疲れがある
 。これポイントかなあ。恋愛は、肉体労働?、機械体操?。
 ねこは、彼らより一人で、たたずむ女達に共感(した気になる)。不安と恐れ、無
 心、あこがれ。いろいろ頭をめぐる。なにをいいたいかは解らないけど、想像をか
 きたてる。みな一方向になんか糾弾してるなか、少女は歯を向いて笑い、ぶらんこ
 を大振りに漕ぐ。の場面もいい。皮肉な柔らかさ。映画、スライド、蛍光燈なんか
 を使ったビジュアルも鮮やかで○。言いたいことは、よく解らんけど。

 後半は、より直裁になる。アウスシュビッツは知らない。けど、下着姿でただ前を
 凝視する女達の涙は、悲しい。ほんとに辛いんだろう。ねこも痛く、悲しくなる。
 ここ、ラストの花や第9条解体より印象に残る。

 会場。舞台奥と客席奥(5段×15人)は、5、6mしかない。ねこ、当日立ち見
 全体見渡せて、らっき。年取ると腰まで痛くなる。とほほ。やっぱ立ち見の女の子
 が、途中貧血で崩れる。大事無くてよかった。舞台は、工事用の足場を組み替えて
 巧く使う。金かけてないけど、かっこいい。次の公演は絶対いく。2回はみたい。

 ところで、チラシなしねこは、場所わからず。5:30pm頃、topsでチラシ探し。丸ノ
 内線本郷三丁目駅下車。本郷通りを東大方向に行って、マックを過ぎ、花屋の角を
 曲がり行くと、十字路にチラシがありわかる。駅から10分弱。本郷DOK 5802
 -5387です。



オルギア (95.09)

(下の文章の文責:まねきねこさん)


9/22(金)7:10-8:30PM 晴 浅草・フランス座     解体社(03ー5802ー5387)
「”ORIGIE”is the final version of”THE DOG”」 作・構成・演出:清水信臣
 前売3000,当日3500 最後尾下手より 客席満席(100人)

 解体社は、今年3月のTOKYO-GHETTO以来2回目。役者の肉を意識させる演出と、さ
 まざまを想起させるイメージが印象に残ったパフォーマンスと芝居の融合でした
 THE DOGは、3部作らしい。今回最終回。

 会場。「へそ」(ストリップ小屋、真ん中の花道舞台ね)から前の椅子も舞台。
 だもんでキャパは半分。客席と舞台は、当然くっきり段差あって別れる。奈落に
 落ちた男を、引っ張り上げる演出とかがしっくりくる。下手に螺旋階段。ラス近
 くの無限行列など、螺旋の暗喩が生きる。横の空間は死んでる。今回、どーも
 密度低く感じたのは、そのせいかなあ。

 男女のたたき合い、裸身と着衣、無表情の厳粛さ、憲法9条、街のスライドとか、
 TOKYO-GHETTOと同じモチーフ?の印象。痛みを体感させる演技は、文字どおり心
 痛とその後のやわらぎが強烈。今回、犬(日野昼子?)が一番の収穫。歯を剥き、
 筋を浮きだたせての異形の姿。その生気の前には、他の人間は死んでいるかのよ
 う。ラスト、舞台に放たれたモルモットは、上手からのライトを凝視し続ける。
 明かり=未来に目を向けるのが動物の本能なれば、何よりの希望。静かな力強さ
 を感じた(勘繰る?)ねこ。(9/21-24 4ステ)


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にしかど(nskd@enpe.net)